メタボロームとは?
生体内では、必要な化学エネルギーを得るために多種多様の複雑な化学反応や、生体の機能を維持するために必要な分子の生成が行われています。そして、その化学反応に応じて様々な代謝物質(metabolite)が産出されています。特定の環境下において、数百種類以上ある代謝産物を総称してメタボローム(metabolome)と呼びます。
このメタボロームの解析と、これまでのゲノムやプロテオームの解析データを組み合わせることで、より詳細な、またこれまで発見されていなかった新規の代謝経路が明らかになることが期待できます。
メタボローム解析の特徴は?
この解析は、「生理的、病理的環境が違う」や「異なる遺伝子を持つ」などといった異なる二つ以上の系がある場合、各系における多数の構成分子を網羅的に分析し、そのプロファイルを比較することにより、その系に対し、最も影響を与えている因子は何かを探り出すことを目的としています。
メタボローム解析の有利な点としては、過去の膨大な物質代謝に関する知見をデータベースとして利用できるので、非常に確率の高い仮説形成の作業が可能となります。
メタボローム解析における分子の同定方法は?
基本的にはそれぞれの代謝分子の質量データベースを利用します。これに加えて、代謝反応によって生じたある特定残基の付加または脱離の質量データベースを活用することも非常に有効です。代謝物の分子間のリンケージ解析ではこの関係を直接利用することができるので、その代謝分子の生成過程(代謝経路)が容易に推測できます。
ESIやMALDIとは?
ESIやMALDIといったイオン化法の特徴は、これまでのMSに用いられてきたイオン化法とは異なり、非常にソフトなイオン化であるため、混合物であっても個別の分子が壊れることなく検出される点にあります。さらにピコモル、フェムトモル程度の微量検出が可能な点も生体分子に非常に適しています。
脂質に注目している理由は?
これまで脂質はタンパク質に比べて、個々の分子の詳しい解析は行われていませんでした。その理由の一つとして、タンパク質が生体内の機能に直接的な働きを示すのに対して、脂質は細胞膜の主要な構成成分で、タンパク質を細胞膜につなぎ止めるといった役割以外には脂質自身の生理的意味はあまり注目されてこなかったことが挙げられます。しかし、ここ数年の研究で、細胞内外のシグナル伝達において関与が示唆されているラフトや血小板活性化因子(Platelet Activating Factor; PAF)などそれ自身が生理活性を持った脂質メディエーター、さらにはendotherial cell differentiation gene(Edg)レセプターと呼ばれるリゾホスファチジン酸(lysoPA)やスフィンゴシン-1-リン酸(S-1-P)をリガンドとする受容体も見つかっていることから、これら脂質の解析の重要性が認識されつつあります。
リン脂質の網羅的解析の方法は?
三連四重極型MSによるLC/ESI-MSを用いた場合、ほぼ1時間程度で各リン脂質のクラス、サブクラスとおおよその分子種の網羅的同定が可能です。この手法は、通常の分子関連イオンの検出の他に、インソースフラグメンテーション(in-source fragmentation)によって意図的にフラグメントイオンを生成させることで、より詳細な情報を得ることができる、つまり分子種レベルでの同定を可能にしています。また、さらに二次元マップ(保持時間-分子量)による解析と組み合わせることにより、どの時間にどのようなリン脂質が溶出しているか容易に知ることができます。
このLC/ESI-MS法によって、細胞からリン脂質を抽出してから約2時間以内に数百種類のリン脂質の同定が可能となりました。また、現在は主に微量分析を行っているので、キャピラリー(1〜50ul/min)、ナノフロー(10〜1000nl/min)といった超低流量でのLCを常用しています。極微量成分のイオン化効率の悪い分子は解析から取り逃す恐れが大きく、リン脂質の場合、クラスレベルでの基質特異性がわかっていても、分子種レベルでの特異性が生理的に重要な意味を持つことがあるので、従来の方法だけでは不十分です。従って、LC等でメジャーな成分と分離することにより、微量成分の同定効率を高める必要があるのです。
さらにFTICR-MSのような高分解能のMSを用いた場合は約2ppmの質量精度で元素組成の違いを分別できることから、最近注目を集めています。このFTICR-MSを用いた場合、LC/MSを用いなくても脂質の元素組成は同定が可能です。すなわち、元素組成の違いからくるホスファチジルコリン(phosphatidylcholine;PC)とホスファチジルエタノールアミン(phosphatidylethanolamine;PE)、スフィンゴミエリン(sphingomyelin;SM)のわずかな質量数の違い(5〜20ppmレベル)も、10万以上の分解能により可能です。
その他の同定法は?
グループ特異的解析法、つまりフォーカスドメタボロームとも呼ぶことができる同定法があります。三連四重極型のMS/MSを利用した重要な手法としてプレカーサーイオンスキャン(precurser ion scan)やニュートラルロススキャン(neutral loss scan)が挙げることができます。この手法の特徴は、ある特定のフラグメントイオンや特定のニュートラルロスを持つプレカーサーイオンのみをすべて特異的に検出することにあります。例えば、コリンやエタノールアミン、イノシトール、セリンといった極性基を対象とした場合、各クラスに特異的且つ網羅的な同定が可能です。またその対象をアラキドン酸を持つリン脂質というように、対象を特定の脂肪酸を持つグループに指定することもできます。
現在のメタボローム解析の状況は?
メタボローム解析の中心を担っているミクロスケールのMSは、ゲノム創薬における新薬のターゲッティングやシーズのスクリーニングの技術として最も重要視されていて、基礎生命科学においても非常に重要な手法となりつつあります。現在、欧米では多くの研究グループが血漿や尿、各種体液、培養上清から生理活性分子の同定、検出を試みていて、これらの研究により、医療分野では疾患と関連した代謝分子の迅速な同定や定量ができると期待されています。